賞といわれるもの

ノーベル文化賞にボブディランが・・・・・
まさかの受理をしてしまったら、今までの輝いていた詩が”死”となってしまう~
当然彼が貰わないなら、僕貰いたいです~という人はたくさんいるかと思うけど、、、、、
彼がしんどい生活者なら、そんな話もあるのかな??いやいやそれほどの偉大なクリエイターだとするならば、
そんなものに魂を売ることはしないはずですがね~
日本では”武士は食わねど、高楊枝”という言葉がありますけど。。。。。恥とは何ぞや?というところですよね。

それにしても青森県の写真展受賞の取り下げについては、前文などとは比べ物にならないほど、ステージが違うところで、怒りがこみ上げる事がらです。
そもそも”賞”を運営するような組織委員会の輩には、これはノーベル賞などの所謂”賞”というもの全般に言えることですが、委員会を構成する輩には物を見定める目など何もなく、コネクションのみですべては決まります。
エンブレム問題でもお分かりのようにね。
それだからこそ、今回のこれは本当に許せない!
人の心は宿っていない~間違いなく青森県なんて住みたくないと思わせるような行為でしたね!
勇気をもってカメラでお話されたお父さま、あなたの心に寄り添い、ただただお嬢様のご冥福をお祈りするばかりです。

そんなことにも気づけない悲しい組織委員会・・・・
彼女の死を招いた中学生たち、、、、、あなたも同等の人間ってことです。
人の辛さを知っておきながら”いじめ”を止められなかったのですから。
あなたたちのしたことは、今回の”賞”を取り下げた人間たちと何も変わらない。
あなたがたの心は腐っているということです。

こんなときに思うのは・・・・
アメリカでは性犯罪者には出所後もGPS付きの足枷をする州があるそうですが、もっともだと思います。
性犯罪者だけではなく、人に対していじめ行為をした人間には足枷または刺青のようなものを人が見える場所にはっきり見えるように打ってほしいものです。
はっきり言って腐った心のひとに綺麗になりなさいって言ったところで、あてにはならない~
「ああ、この人は性格が腐っているな」と直ぐにわかるものが望ましい。こうしか言えない。

いじめをしてしまうとき、あの人うざい、あの人邪魔、そう思う時・・・・・
その一端は必ず自分にもあることを忘れないでね。