狂夫と小人に振り回されている日本

森友、かけ学園シリーズ、はたまた相撲からレスリングから、タレントのクリエイティブ活動まで、狂人ニュースが目白押し・・・・・渦中にいる人物たちは、完全に見境なく狂っている。
言動がまるで薬物中毒の患者のごとく・・・だ。

森かけで、総理も夫人も関わっていないわけがないでしょ。
忖度も内閣府から始まっているわけだし、訪問者の履歴を隠す?あり得ない。物的証拠はちゃんとあるじゃない!のり弁の海苔を外せばいいわけでしょ~しかも末端の人間を抹殺。犯罪としないことの意味が解らない。
同じようなことはいつも繰り返されている。
明治維新時代の藩主も「そうしておかないと命が危険だった」と。

まるで、サル山のケンカと同じことだ。その争いにはきりがない。
(戦争好きな国も同じことが言えるが・・・・ここでは他所ことは置いておこう)

かつて幕臣の田辺太一という人物が
「攘夷を説く狂夫」と「それに加担する小人」と残していた。
ここでいう狂人(夫)とは、長州藩のことであるが、小人とは徳川慶喜のことらしい。現代の内閣府天皇家ということであろう?

杜甫が、読んでいる”狂夫”と田辺氏の言うそれとは、違う気もするが、とにかく狂っている世情を伝えたかったのでしょう。
ちなみに、杜甫の詩は下記です。
”萬裡橋の西に我があばら家はある、百花潭の川水は青々としている、風に吹かれる緑の篠竹はなよなよとして清らかに、雨に打たれる紅の蓮の花は次々と花を開いて芳しい
高い報酬をもらっている知人からは音沙汰も絶え、いつも空腹の子どもたちは顔色が悪い、このまま野垂れ死にするかと思えばどっこい気ままに生きている、もともと狂夫である自分だが、老いてますます狂っていくかのようだ”

はあ、同感と言わざるを得ない。