川崎殺傷事件などの事件について

今朝、川崎で、またもや殺傷事件があった。
そう、「またもや」なのだ。

犠牲になられた方には、言葉もありません、ただただ胸が痛む思いです。
毎回、なぜこのような事件が起こってしまうのか。考えます。

相変わらずテレビでは、現場からの中継です、と現場の立地など詳細を繰り返す。
犯罪心理学のどこそこ大学の教授がお出ましになり、箸にも棒にもかからないような話を繰り返す。
しかも犯罪者について語る時、鬼の首を取ったように、がん細胞を見つけたかのように、語っている。
自分には関係がないと、顔に書いてある。
本当に今後も、同犯罪を繰り返さないための報道ということには、全く聞こえてこない。

このような痛ましい事件が起こるたびに、月光叔父は言う。
犯罪心理学の前に、社会心理学をもとに考えなければならないのだと。

政治が悪い・・・yes
経済が低迷している・・・yes
格差社会が、いじめを生み、弱者を追い込む。
完全に社会学が狂っている。
つまり、癒されないストレスが噴き出ている。
つまり、誰もが持つ感情ということなのだ。

つまり、愛(男女の愛ということではない)がないから、事件が無くならない。

相模原の障碍者施設の殺傷事件を起こした男は、自分は正義を全うしたような、笑みさえも浮かべていたことを思い出す。
今の安倍政権に愛がないことと、どこか同じではないだろうか。
愛のある人が戦闘機を105機も購入するだろうか?
愛のある人が、被爆国でありながら、原子力発電所の再稼働が出来るだろうか?
人が死ぬことに、何の感情も持たないと同じではないか。
悲しすぎます。

子供に伝えなければならないことは、そのような社会に暮らしているという事実ではないだろうか。