修業者たち

修行者というと
一般的に何かの宗教団体に所属している方というイメージが強いように思いますが、
毎日毎日失敗の連続だったり、ごくわずかな成功の喜びのために日夜努力することを
”修行”と呼ぶのであれば・・・・・
お仕事もしかり、スポーツもしかり、奥さんたちのお料理もしかり、会社や友人との人間関係もしかり、
家族との関わりもその一つだと思うのです。
旬な話でいけば、オリンピック選手のまなざしも修行僧そのものじゃないでしょうか。

そう思えば人類皆修行者と呼べるはずなのに・・・・・
やはり特別視する(自分とは違う)と思うことこそ、差別に走り、私欲にまみれ、犯罪が生まれる気がします。
特に”印籠”に弱い人にこのタイプが多いように思うのですが・・・・・

”印籠型人間”の特徴
・自分は有名大学を出ていない
・自分は財産がない
・自分は満足に働けていない=有名企業に働けていない
・自分は大臣や閣僚じゃない
・自分は民度にかける
・自分には技術力がない
・自分には肩書がない
などなど

かくいう私もその一人で、何かの肩書がある人に弱い、強い人に弱い人間でした。
いまだに抜け切れていないのですが、そんな自分に気づけるようになりました。
それもそのはず・・・・・
「月光のおじさん」から、いつも耳タコ状態になるほど、言われています。
「誰かのせいじゃない。すべては、自分なんだ。」
「人間、いつか必ず死ぬ。一人きりで・・・・。それは今どんなに偉い人間と移っている人間でも同じこと。
特別な人間なんていないんだ。」

それでも人の悪口を言ったり、イラついている私に・・・・
「ここにいない人のことを悪く話すな、本人を目の前に話すことしか解決しない。それにすべての原因は自分の方にあると思いなさい。」
はじめのころは・・・「それが出来れば悩まないですよ!」とかなんとか堂々巡りな意見ばかり言っては
ドツボにはまっていました。
はあ、なんだか神父様のごとくに・・・侍の父親が息子を諭すかのような・・・・・
う~む、やはり侍魂ですかね・・・・・

”印籠”型人間の私が、様々な問題解決を経験する上で、
自分では認めたくないような真実に触れていくうちに、だんだん考えが変わっていきました。
弁護士という肩書はないけれど、
私をあらゆる問題から救ってくださった「現代の月光のおじさん」・・・・・
問題解決には肩書が邪魔するケースがほとんどではないですかね?
結構、ここに気づけていない人って、日本人の中の大半のように思えてなりません。

人間見た目でも肩書でもない。親だからとか兄弟だからとかも関係ありません。

すべては愛だろ愛!
付け加えるならば・・・・
Eye・・・・様々なことに気づくこと・・・・に尽きますかね・・・・・

私も日夜、修行者として暮らしていますよ~。
きっとあなたも。