道ゆく人との会話について

先日、大阪府だか市で、見知らぬ人から声を掛けられても、無視するよう児童に指導すると発表?したとか、、、
淋しい世の中ではないですか?
これで本当に犯罪がなくなるとは考え難いのでは?
世の中の児童犯罪の原因は、家族や友人以外の人とのコミュニケーションの仕方が分からない、
これは犯罪を犯す人、犯される人両方に当てはまると思うのですが、要はこの人は常識のある人だなぁと思うのは、どこで決めるか?
というのが、狂っている時代なんですかね?
小さなお子さんを連れている母親、また若い人には近づきたくないとまで考えてしまいますよね。
仮に子供同士で川などで危険な場所で遊んでいても声も掛けて貰えなくなるリスクについては、どう考えているのでしょうか?

実は以前、川にかかる橋の横に配水管のような管があり、そこを何人かの子供たちが渡ろうとしていたので、勢いよく、コラ~何しとるか~的に怒鳴りながら近づいたら、うるせージジィ、と返しながら配水管から降りてその場から逃げていきました。ジジィ?ババァなら兎も角?いやいや、そういうことじゃなくて~兎に角、降りてくれて良かったと思いましたよ~
あそこから川に落ちていたら、大変でしたでしょう~

また通勤途中、夏の日差しが強い日に道端で帽子も日傘も持たず佇むご老人がいらっしゃいまして、失礼ながら、暑いですが、どうされましたかと声を掛けたところ、何とその方の家は目の前で、ご友人が来るのを待ってらしたとのこと。それはとんだ失礼をしまして、申し訳ないですと言って、そそくさと立ち去ろうとしたら、その方は私を家の玄関先によんでペットボトルの水を何本かくださいました。その方は声を掛けられて嬉しかったとおっしゃいました。結局その後私も自家製の梅干しをお返しに届けに行き、何だか嬉しい交流が生まれたと喜んだことを思い出しました。
また初めて行った町のバス停で、地元の方らしきご老人にバスの行く道を尋ねたら、よく分からないと言われ、お役に立ちませんで申し訳ないですねとお応えいただいたので、とんでもございません~その方は先にバスを降りられる時、こちらを気にされましたので、ありがとうございますと、声を出さずに口真似しました。
私にとって、道ゆく人との会話は心が温かくなるものだと認識しています。特に子供たちには、何と返されようと、もしあの時声を掛けなくて事故が起きていたら、一生悔やむな~と思うのですね。

何だかややこしい世の中ですねー